Q:調整・調律時に交換するものは?

A:
 なにかこう、交換しないとなんともならないと思っている人が多いようですね。

 当店で、新品のシリーズ品(メーカーもの)の楽器のショップアジャストメントを行う場合、基本的に、何も替えません。けちして替えないのではナク、カタログの内容、仕様を壊してしまっては商品価値が無くなるからです。よくこきおろされる、安くて形だけと思われているような楽器にも、楽器として働く価値がある筈なのですが、出荷段階では、部品を仕様通り揃えられているだけに等しく、敢えてそうされていますので、そのセットを崩すことなく、そのパフォーマンスの最大限を見つけだすのが初期調整、乃ちショップアジャストメントです。

 シリーズ品程度しか買えないからといって、後で駒だけ替えてもらったら音が良くなった、と仰る方も多く見えます。それは、単に駒を替えたから良くなったのではなく、駒を作り替える段階で、その部分の佇まいに手が加わっているのです。要するに其処だけ調整されたから、その部分で齎される向上が見られたというだけです。魂柱を替えたら格段に良くなった、なんていうのはもう、そういう心臓部に手が加わって、大体魂柱は元のサイズも重さも位置も二度と再現出来ませんから、改めてその楽器の音作りをする部分ですから、結局携わった工人がそのセンスでその魂柱が一番働くさまにした、というだけです。
 だから、あれこれ細々いじるより、一旦全体的にちゃんとされた姿のものでしっかり鍛えたほうが、音だ響きだいうよりずっと早道な筈なのです。

 マスターメードやカスタムクラスの楽器は、基本的にこちらがどのような感じのものが欲しいと希望して作られます。単純にただ出来上がったものを売っているのを仕入れているのではなく、予め希望を入れ、それならこうだ、というものの個体のID番号を紹介され、世界中のショップの担当者がそれを競ります。目標に向かって作られて来ているのです。但し調整の為のマージンは大きく残されていますので、佇まいを崩さぬよう、個性を壊さぬよう、慎重に調律しますが、やはり基本的に何も替えないのが方針になります。有名ブランドの良く売れている別の材質の弦に替えてみせてみたり、同じく有名ブランドの駒に替えてみせてみたりというのは何れも小細工です。
 細くてテンションの強いスチール弦のエネルギッシュな響きが欲しいと折角作られて来た楽器にガットを載せてみて眠たくなったものを、いいものとして見るのは余りに狙い所が外れてしまっていることになります。強いテンションでもよく指がまわせるようにと、微妙な指板のカーブに至る迄作り込んであるものは、その持ち味を引き伸ばさなければなりません。逆に最初からナイロン弦を張られることを目論んだ楽器に、スチール弦を使ってもまたまるで違うものになってしまいます。今時は余り作り手もテキトーではありませんから、買手側の意図に従って与えられた性能をよく読み、知って、引き伸ばさねば意味がないのです。

 百年前の楽器なら、元々ガット弦しかなかった訳だし、つまりそれがデフォルトの感性なのです。それにスチール弦を載せた所で、余程いじり倒さなければその性能は引き出せません。何か目的でもない限りは、ガット弦が活きるように音を建てていくものですが、目的とは、現に今演奏する奏者の狙う音楽の商品価値です。しかし現代の製品は、スチールもガットもナイロンも現行の音源であり、作り手も売手もどれでも適当に好みにあったものを載せれば良いと簡単にやってのけられる現状ではありません。

 もうひとつ、肝心なことですが、調整を求めて持込まれたとしても、例えば見るからに5万円かそれを下回ろう楽器に対して、最高級の駒材を使ってこれまた高価な弦を載せて、あれこれいじって出来ましたとばかりにソレナリの値段を提示したとしたら、もしそうされたのが私なら怒鳴りますね。何考えてんだと。大体において、バイオリン遊びをするのに数万円で楽器を買っている人に、年に一度一万円の弦セットを買わせることさえ普通なら憚られるものでしょう。こういう仕事は、様子にあった作業を、見合った値段で求めうるから意味があるのです。ぐるっとひと回りいじったからといって、数万円の楽器に対するそれと数百万円のそれとでは元々注ぎ込む威力からして違いますから値段も違わねばなりません。

 そういう訳でうちの楽器は、専ら、専門的に長く接して、自分の音への旅を終え、保守的になっている人に言わせると玩具といわれそうな価格帯のものが殆ど全てなので、非常識な行いには及んでいません。いじり倒してはいるのですが、見た目でどうしたこうしたというカンバン作り的な作業はしません。楽器の特性も変わってイチから出直しになってしまいますし、必要以上の価値を与えて見せても買う人にとって面白いものにはならない筈です。勿論性能の高さは、どの価格帯の楽器にも自信を持っていますが、与えられた姿の侭、その持ち味を引出していく調整こそ、あってしかるべき、なされるべきと考えて施しています。勿論、調整を依頼されても、見れば分かるお品に対して無闇なお薦めはしません。分からないものに関しては、楽器の姿から相応しい作業を施します。明らかにそういう、際立った価値の楽器の調整も請われますが、それらは大体長く同じショップのサービスを受けて来たものでもあるため、基本的に元のショップに戻すことをお薦めせざるを得ません。

 調整に携わるものにとって、音というものは案外自分のものだったりするのですが、仮令それが、若者から老人迄、思い立ったら気軽に求められる価格のものであれ、ちょっと奮発する練習用のものであれ、それらが各々に謳う筈の声を持っていますので、少なくともそれを存分に引出してあげること、それが調整であって、部品交換を見せるものではありません。部品は、必要に迫られて交換するものです。

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